やりての母マリアテレジアのいるオーストリアから一人嫁いだマリーアントワネットは、その寂しさと宮殿の退屈さを紛らわすためにパーティをしてたってこと、恥ずかしながらすーっかり忘れてました。
マリーアントワネットのイメージは、フランス革命のときに「パンがないならケーキを食べれば」で知られる豪華な生活を好む女性。
だからとにかく離れも豪華な家を想像していた。
実際にギャンブルに仮面舞踏会にとすごかったみたいだけれど、彼女のためだけに立てられた離宮は、意外と見た目も、とにかく豪華というよりはもっとかわいらしい、Petiteというか上品というか彼女の趣味が現れていました。
それは金を多く使うベルサイユの形式とは少し違って、もっと少女趣味というか,,よりパステルカラーに溢れてて、柔らかい印象。
フランス革命のシンボルとして目の敵にされたかと思えば、ソフィアコッポラの映画のようにやっぱり人物像とファッションが注目されたり、時が経っても話題のたえない人。
専門家ではない私は深く言えないけれど、この美的センスは絶対。
オーストリアから嫁いだ際にはフランスにクロワッサンを持ってきたり、
新進ファッションデザイナーのドレスを着てヨーロッパのファッションリーダーになったり、インテリアのブームを作ったり。
美しさだけじゃなくて、行動力でもやっぱり文化的に歴史に残る女性なんだなと思いました。
Although she was enemy of nation at french revolution, her fashion and interior sense has been loved somehow, as you can still see the movie of Sofia Coppola.
She brought new culture and new things from Austria. For example, she is the one who brought croissant, she was the fashion leader wearing new designer, and she made the boom for interior.
Not only her appearance, but also her way of acting on her beauty sense was something to remember on the history.