私の仕事情の大きなゴールの一つは、日本のアパレルが外に出て行くために手伝いをすること。
リーマンショックの後日本の工場がどんどん倒れて規模縮小や閉鎖に追い込まれたのを肌で感じてて、海外では日本の物は全然広がっていなくいことを感じていたのが原点。日本の服装文化はちょっぴり変わっててエキセントリックといわれるけど、すごく面白い。これをもっと世界にアピールできたらと思っています。
今は遠回りしつつもその修行中。
でも、ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチを見て、思考が停止してしまった。
わたしはどこに向かっているのだろう?と。
ムヒカ大統領の言葉には、ぐさっとくるものが沢山。
–私たちはマーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たちを作ってしまった。無限の消費と発展を求める社会。
-私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
-人類は消費社会にコントロールされ居ている。
-10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない世界になっている。10万時間持つ電球があれば市場が動かなくなるから。車、パソコン、使い捨ては当たり前。
-貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ
わたしのゴールって、世界的に本当の意味の「豊かな人」を本当に増やすんだろうか。不要なまでの洋服を買ってもらうことにならないだろうか。安く作る事を促して、使い捨てを増やさないかな。
社会人3年目まで、日本や海外のアパレルから生産を請け負った工場を周ってコンサルティングをしていました。そのときに嫌というほどグローバリゼーションを考えた。私たちはもう日本で作った製品だけではいけていけない。高いから。中国やインドや東南アジアに外注しないといけない。でもそこは顔の見えない世界で、彼らは無言で無表情で働いていて、もちろんこれをどんな人がどんな場所で買うかも知らない。変だ。ショックだった。むしろ国内でも、工場にきている中国人研修生の労働時間の長さにショックを受けた。彼女達は都心から4時間くらいのところに住んでいたけど東京は一度しかいったことがないと言っていた。おそらく田舎から出稼ぎにきてるんだろう。
なるべく良い製品を安く変えた方が一消費者として嬉しい。
でも、安いという事は知らない誰かに違法ギリギリの労働環境で任せているということで。
多分これって所謂現代的な感覚なのだと思う。父母の時代、こういう環境問題野解決や社会貢献は「大きな仕事を成し遂げて、その後」という考えが強かったみたい。でも、私も含め今の人はそれを同時に達成したいと思ってしまう。ソーシャルビジネスが盛んになったのも関係しているかな。少なくとも、私にはその方がかっこいい。
その解決策としてあるのがバングラディシュで雇用を作るMotherhouseであり、環境問題をコンセプトにいれたecomacoであり、おしゃれなフェアトレードを広めたPeople Treeであり、セレクトショップリサイクルをしているpass the batonもある。
Ethican Fashion Japanをみていると、今はこんなにエシカルファッションがあるじゃないか、とも思うのです。
じゃあ立ち返って、私ができることはなに??と悶々する夏の朝でした。
あー、もうでかけなきゃ!