日本ファッションをアピールするときに欠かせない言葉、「Kawaii」。
ここには興味があり、関連の本を読んでいます。
ここには興味があり、関連の本を読んでいます。
*ここでは平仮名やローマ字表記の差は無視しています。
”日本の「かわいい」図鑑”という、ファンシーグッズを一覧にした本を読んだ。
この本では、大正ロマンに生まれたファンシーグッズが平成の今までどう変化してきたのかを図鑑で表している。
今見ると「レトロなキャラクター」と一言でまとめてしまうキャラクター達も、それぞれ時代を反映しているのが面白い!
内容のレビューに加え、その時代ごとにファンシーグッズに使われる色を勝手に考えてみました。また高度経済成長後のファンシーグッズについて自分の生活と記憶とあわせて書いてみます。
内容のレビューに加え、その時代ごとにファンシーグッズに使われる色を勝手に考えてみました。また高度経済成長後のファンシーグッズについて自分の生活と記憶とあわせて書いてみます。
大正~昭和初期
ファンシーショップ第一号を開いた竹久夢二のグッズは、アールヌーボーの影響をよく受けている。アールヌーボーは欧州で流行った美術装飾様式。でも元々日本の美術から影響をうけて植物や動物をモチーフにした曲線的耽美的なものだから、日本の着物→欧州の美術→日本のファンシーグッズと流行が戻ってる事になる。この時代のグッズを見ると、最初は手紙といえば「男性」だったのが 段々女性向けになっていくのがおもしろい。先に出た竹久夢二は男性が使用する事も意識していたとか。それが小林かいち、加藤まさおの時代へと下るにつれ、段々手紙のターゲット層は女学生になっているのがわかる。
エスとは、当時の女学生は上級生と下級生の間で「お姉様と妹」の関係を結んだ、いわゆる疑似恋愛関係のことらしい。
驚いたけれど、わかる気がする。中学生高校生の時、2-5つ上のお姉様はすごく素敵に見えた。雑誌の世界でも中学生のときに「セブンティーン」を買ったり、高校生のときに大学生向けの雑誌を買ったりするのと同じ。少し年上のお姉様への憧れが、このときのファンシーグッズメインである「手紙」を盛り上げたと思うと、面白い!
その時代のファンシーグッズの色をみると、少し大人びている。というか原色ではなく、着物のように織物で作られた複雑な色あわせ。
草木から出す自然な色が着物に使われていた→アールヌーボーがその影響を受けた→夢二はそこからデザインや色使いへの影響を受けたと聞けば、納得。
草木から出す自然な色が着物に使われていた→アールヌーボーがその影響を受けた→夢二はそこからデザインや色使いへの影響を受けたと聞けば、納得。
戦中
そして、その時代に描かれるキャラクターの女の子が「かわいい子=おりこうな子」となっており、華やかな絵ではなくお手伝い等をしている様子が描かれてるのも、時代背景を表していて面白い。
当時の色使いはあまり派手ではないけれど、くるみちゃん等をみると赤が貴重になっているのがわかる。
この時代は、中原淳一、内藤ルネ、田村セツ子など今でも「あ!この絵みたことある」と思うキャラクターがたくさん。おそらく私たちの母親世代はこの感覚で生きているんだろうなぁ。
水森亜土 |
わたしのお気に入りは水森亜土の絵。少しレトロだけれど、当時としては「エロい」要素をいれた初めてのキャラクターとのこと。半裸で男女がキスしてる、というからどんなものかと思ったら、こんなにかわいらしかった。
それまでとは違う奔放なキャラを描いた日本人は初めてだったとのこと。
ハワイに遊学経験があるというのも、納得がいく「緩いエロカワ」な感じ。
蔦谷喜一 |
色は、圧倒的に赤が多い。蔦谷喜一のぬりえや、内藤ルネのグッズ。絵自体が赤いというよりは、その絵がつかわれるバッグやグッズが原色、または少し黄身がかった赤という事がとても多い。全体的に暖色系。ハッキリ色がうつるプラスチックのグッズが増えたという事もあるのかな。
それ以降。
コギャルとベビーピンクと私のファンシーグッズ歴。
特にまとめられていなかったので、自分の記憶に重ねて書いてみる。
もちろんわたしもファンシーグッズを持ってました。
まず小さい頃はペコちゃんににてるといわれた。あの目の大きな形と横長の顔、今見ると少しレトロ。
あと、とにかく外せないのがサンリオグッズ。
キティちゃんグッズも沢山持っていた。ただし旧型キティちゃん。「赤で横向き」だったり、あの小さいクマちゃんと一緒に居るキティちゃん。懐かしい!
4歳くらいになるとキティちゃんは卒業して、妹にあげた。「私はお姉ちゃんだからキキララ!」といっていた。つまり、キキララの方が「お姉さんブランド」だった。
小学生まで住んでいた集合住宅には同年代の友達がたくさんいて、
お誕生日となれば近所のサンリオショップにいって1000円分のファンシーグッズを買い、プレゼントした。
毎月のようにあったし、自分の誕生日には20人くらいの子供が集まって私があげたのと同じようなプレゼントをくれた。キキララ、ター坊、ペチャッコ、マイメロディ、るるる学園。メモ帳、筆箱、けしごむ、えんぴつ等の文房具が多かったなぁ。
高学年になって、ファンシーグッズは卒業。持つのも恥ずかしい、低学年の証になった。ピンクはまだ好きだけれど、紫や黒、黄色でも少しダークなものなど少し「大人びた」色を身につけるようになったあの頃。
そして私たちが中学生になったくらいのとき、コギャルブームがきた。小さいときに一度身に付けていたキティちゃんが大人びて帰ってきた。
高校生のお姉さん達は「シャネル」さながらのキルティングチェーンバッグにキティちゃんをつけていた。ベビーピンク/黒字が大人気。キラキラしたキティちゃんも初めて見た。携帯PHSが普及し始めた頃で、それをキティちゃんケースにいれるのは一番旬に見えた。
この時中学生のわたしは無意識に、「キティちゃんって赤ちゃん向けじゃないんだ。この色でお姉さんっぽくなるんだ!」と感じていたはず。
ポイントは「この色で大人っぽくなる」事ではなく、上記の「エス」のように「お姉さんぽくなること」だった。成熟した20代や30代への大人への憧れではなくて、少し年上への憧れ。
イタリアのビジネスプランナー安西洋之さんに、「ベビーピンクを広めた日本のハローキティ」という記事がある。日本ではベビーピンクが洋服に使われることに違和感はないけれど、イタリアではあくまで差し色だった。けれど、ハローキティが状況を変えた。さらに最近ではスマートフォンのカバーがカラフルなので、電子機器にピンクを使う抵抗がヨーロッパでもなくなってきている、とおっしゃっていた。
アメリカ留学中に友人が「アミにこのネックレスをあげる」と突然くれたのはベビーピンクと紫のネックレスだった。なぜか聞くと、「私には子供すぎる色なの。でも、あなたそういう色すきじゃない?」わたしには全く子供っぽく見えなかった。でも確かに母が身につける色でもない。
日本にとってはベビーピンクは別にベビーじゃない。だからといって、「大人色」でもない。今の20代にとっては、「お姉さんカラー」なのではないかと思う。
そして、当時コギャルだった今の30代(恐らく第二次ベビーブームの世代)にとってベビーピンクは「今を生きる」色だと思う。
あの時、彼女達は輝いてた。少なくとも一世代下の私から見て、そう見えた。
おそらく私より物心が分かる時期にバブルが崩壊して、リストラとか不況に敏感に育った世代。援助交際をしたり、ルーズソックスをはいりたり、シャネルにキティをつけて世間の純朴な女子高生像を一気に変えた。今でも続く「女子高生」ブランドを作ったのは恐らく彼女達。
だから私はオフィスで30代のママがベビーピンクの服をきて、ハローキティを机に20個くらい置いている事は当たり前かな、と。
ファンシーグッズ、キャラクターは私たちの色や形の価値観を作る時期に、スゴく重要な役割を果たしてるはずから。
P.S.
でも今回この本を読んで、その世代にとっての大ブームだったファンシーグッズを見てみると、今のスタイリングや色彩感覚に深く絡んでくることも、あるんじゃないかなと再発見しました。