今年の春くらいから、社内外特にメーカーの方にお勧めしていた本。
食に限らず、下記のようなローカリザーションの実例が解説されています。
ーキッコーマンの醤油はなぜ「日本食」ではないのか?
ーくもんの教室はなぜ、世界46カ国に進出できたのか?
ーパナソニックはなぜ、腑に落ちない意見に従ったのか?
ー日本のゲームはなぜ、「ぬるい」と言われるのか?
ースマートフォンに現地化は不要なのか?
ー外国人もウォシュレットで洗ってほしいのか?
ーイタリア人はなぜ、直線で地図を描くのか?
全部、うきうきする話。こういうの大好きです!
今年は世界最大のゲーム展示会でローカリゼーションの通訳を行った事もあり、こういったローカリゼーションの話は大好き。
(ゲームは全然知りませんが)
現地化したメキシカン マルちゃん
あのインスタントラーメンは、アメリカで発売されました。
そこへ出稼ぎに着ていた移民のメキシコ人が、家族の友人のお土産にカップ麺をたくさん買って帰った事がはじまりとのこと。
「ちなみにメキシコ人はマルちゃんに大量のチリソースをかけて真っ赤にして食べたりします。(省略)ちょい辛のサルサや、ライムを絞ってかけて食べるのがメキシコ風です。また、議会が早く終わったときには『議会がマルちゃんした』と言われたり、サッカーメキシコ代表の素早いカウンター攻撃を『マルちゃん作戦』と名付けられたりした事もありましたね」(本文p.48抜粋)
驚きじゃないですか!?
『議会がマルちゃんした』って(笑)
日常では「わたし今日仕事マルちゃんしたんだよね」みたいな感じなのでしょうか、、、おもしろすぎる。
マルちゃんのCMは「あーかいキツネと緑の狸!」ではなく、「Hola amigos, me jamos MARU!」とか言ってるのかな。ふふ。
わたしは2008年から
LunchTripという”食から世界を学ぶ異文化理解ランチ会”を定期的に行っているのですが、そこでは逆パターン、つまりオリジナルの国の人の想像を越えた日本の食べ方というのがよく出てきます。
例えば餃子は中国人にとっては水餃子が普通だけど、日本では焼餃子が普通だったり。LunchTripでは、「あーそっちが本流だったのか!」と気づかされる事が多いのです。
でも、日本人にとって当たり前の「マルちゃんの」がこういう風にローカルに変わっていくのはやっぱり予想外。とっても面白いです。
また、メーカーにて開発と販売側が話す時にも使える話だと思います。
開発はどうしても「品質は落としたくない、だからこれくらいの価格で売るべきだ」といいます。でもお客様がほしがっているのはその部分の品質がいいものではないかもしれない。
お客さんに会わせるべきだよ、と。
実際使いました(笑)
私は他に面白いと思ったのは資生堂の海外戦略。
化粧品について、「朝起きてすぐ近くのコンビニエンスストアに出かけるとします。日本人、フランス人、アメリカ人でどう違うと思います?日本人の女性だと日焼け止めクリームや乳液。でも、フランス人なら香水。アメリカ人であるならばアイメイク。ちょっと極端かもしれませんが、こういう傾向があるんですよね」(本文p.122抜粋)
ローカライズに大事なこと
筆者の安西洋之さんが言っているのは、
「グローバルはローカルの集まりだ」
「顧客の日常生活のロジックを理解して、頭の中にフィットさせていくこと」。
そして、「ローカリゼーションマップを作ること」。
ローカリゼーションマップについてはfacebookページ
https://www.facebook.com/localizationmap
もあるみたいなのでこちらに貼っておきますね。
余談ですが私は大学のときに多文化教育を専門にしていたので、グローバルはローカルの集まりだ、という考え方に賛成です。
世界は一つになるというのはどうしても欧米的な私欲が強いと感じてしまいます。
世界は同じになるのではない、違う見方を理解しあおうとするから面白いとわたしは考えています。
ファッションビジネスへの応用
そして恒例、これをファッションにも応用できないかと考えてみる。
結論からいうと、できる。もっとできると思う。
たとえば、アメリカに留学してきたときにいつも感じていた事。
みな、パーティのときと普段が違いすぎる。
私がいたのはオレゴン州という田舎で、普段はみな自転車か車での移動がメイン。
電車なんてなかったし、よく雨がふることで有名な場所だったので
TheNorthFaceのレインコートが普段着になっている人がとても多かった。
そしてボトムスにはデニム。
7割くらいの人がそのスタイルといっても過言ではないと思う。
少なくともスカートをはく女性はとっても少ない。
そして、木曜日と金曜日はお決まりのように友人宅またはバーでパーティ。
みんなびっくりするくらい派手な服をきてくるんですわ。
今でこそSATCでアメリカのパーティシーンが有名になったので想像しやすいと思います。
大胆な胸元、濃い色、そしてドレス。
まぁオレゴンの大学生だし、あそこまで毎回イブニングドレスってことはないのですが、授業と違う服装をすることはマストです。
そしてテーマパーティが多い事も私には新鮮でした。
それまで東京の大学電車で通う生活しか知らなかったわたしにとっては、大学の授業を受けて、そのままデートなり飲み会なりバイトなりに行くのが普通。朝から夜までの予定を意識して服を選んでいました。
オレゴンの友人達は、一度家に帰ってパーティのために着替えるというのが普通なのですね。
「いちいち帰って服を全取っ替えする」のは衝撃でした。
お化粧も、その時間に初めてするという人も多いのです。
このテンションのあげかた、個人的には大変好んでおりました。
それに比べると、日本の服は普段から少しラグジュアリー/ラブリー
なものが目立ちます。
ワンピースを職場に来てきたり、学校にきてきたりしてもみんなそんなに驚かず、むしろ「いつも可愛いね」と褒められる。
でもアメリカでは、常に化粧ばっちり服装も派手だったりすると、酷い言い方で「娼婦」という風に言う人もいました。
つまり、日本の服は「日常におしゃれを少しプラスαしてある」というところが特徴だと思うのです。
だとすると、これは生かすべきなのか?それとも現地にあわせて変えるべきなのか??
どちらにしても、アパレルブランドもサムソンのように現地人になって生活することが必要だと思うのです。
仕事柄だったのかもしれませんが、海外を回っていてアパレル会社の駐在の方にあまり会った事がないのですよね。。メガSPAの生産管理の方以外は。
デザインや生活習慣を現地にあわせるには、著者安西さんのおっしゃる通り
「日常生活のロジックを理解して、頭の中にフィットさせていくこと」
だと思っています。
キッコーマンが醤油を魚にあう醤油としてでなく、お肉にあうTERIYAKIとして売ったように、
日本のアパレルも相手の生活シーンにあわせて新しい服を提案していくべき。
店員さんからシーンを吸い上げて、そのシーンを元にシーンにあったデザイン、売り出し方、できればシーン自体を提案していくべきではないかと思います。
ファッションというのは単にデザインを研究するだけでなく、世間情勢、街の安全性、洗濯事情、気候、住宅、交通の清潔さなど多くの要素が絡まって生まれてくるものなので、多面的に見れるかが鍵だと思う。
日本のアパレル業は90年代から衰退しつづけ、輸入超過の状態が続いています。
Made in Japanへの品質の憧れが残っている今のうちに手を打たないと。
海外で韓国のアパレルショップが繁栄しているのを見るにつれ、
お世話になった国内の工場の方の顔を思い出すにつれ、
わたしは本当に一人で心配になるのです。
なにはともあれお勧めの本。
他業界の方のお話もきいてみたい。読んだ方、ご感想お聞かせくださ いね!