明けましておめでとうございます。
新年はLas Vegas、Grand Canyon、そしてLos Angelesで過ごしました。
帰国してすぐに体調を崩したりと年始からかなりバタつきましたが、どうにか仕事スタートも迎えました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
久々のロサンゼルスはとても晴れていて、1月ですが15度くらいと暖かく。
LAは人生3回目でした。
1度目は10年以上前、留学中に10日ほど訪れて、友人の実家に4軒泊めてもらった時。
ダウンタウン
1度目にLAに来た時、友人家族それぞれのご両親から、「ダウンタウンは危ないところだ」「行ってはダメだ」と言われてきた。
でもこの数年、ロサンゼルスのダウンタウンはかなり綺麗になったと聞いていたので今回行ってみた。
現代美術館The Broadやディズニーのミュージックホールや面白いカフェもあり、NBAの試合も見た。
街自体も歩いたけれど、汚い部分もあったけれどそんなに汚くない部分も多かった。(とはいえ、LAは広いので、全部を見切れたわけではないけれど)
むしろ毎年なんども訪れるサンフランシスコや去年10月に行ったNYに比べたらホームレスは全然少なかったし、アートがあることで街全体が新しくなっているような感じさえした。
お金持ちの家で贅沢三昧
今回も、友人Lizzyの実家に泊まらせていただいた。
この家、ロセンゼルスの中心地にありながら、一般とは隔離した「ゲート付きのエリア」の小高い丘の上にあり、まあとにかく広い広い。
馬がいて、柚子の木・アボカドの木・オリーブの木など大量にあって、最初のポーチから家の玄関まで歩いて5分くらいはある。
この写真は、ポーチから少し歩いた後、家に向かって写真を撮った図。
お家の玄関
玄関の前には噴水が。
リビングの一部
家の中にはもちろんバー。
リビングは三つくらいある。そのうちの一つ。壁にはアートショーで買い付けたアートがたくさん
可愛すぎる血統付きの馬を買っていて、馬は厩舎だけではなく自由に走り回る場所もある
部屋からはプールが一面に見え、その先にはLAの街が一望できる。
ダウンタウンやも視界の下の方の霞の方に見える。
朝ごはんで新鮮なウニが出てくるような家。
ものすごい美味しかった。全部食べましたw
ちなみに・・こちらのご夫妻は大の日本食びいきである、毎週NOBU(アメリカ中心に展開する知らない人はいない高級寿司屋-1人10万とも言われる)に行くほどお寿司好き。
去年夫妻が来日した時には一緒に銀座のお寿司屋さん、久兵衛にも行きました。
富裕層から見たホームレス
で、今回私たちが色々ダウンタウンでしてきたことを話したら、友人のお母さんはかなり驚いてた。
「ダウンタウンは危ないところよ。ホームレスがたくさんいて、汚い。もう何年も、行ってないわ。あなたたち、そんなところに行くなんて勇気あるのね!」
そして彼女は、ホームレスの人について心底嫌そうだという感じにいった。「彼らは努力してないのよ。アメリカってやる気のある人ならばどうにかできる国よ。でも努力もなく怠惰がすごいから、ああやって臭いダンボールの家で道の横で寝るの」「ああいう人たちがいる場所、近づきたくもない」
私はその言葉に半分驚いた、が、半分驚かなかった。
驚いたのは、その嫌悪感をダイレクトに表す部分と、また努力がないからと決めつけているところだ。
でも私だってホームレスの尿の匂いがツンと鼻にすると「臭い」と思ってしまうし、顔をしかめてしまう。
でも、ただ努力が足りないだけではないだろうな、そう思ったが反論しなかった。
驚かなかったのは、この友人のお母さんが保守派、トランプ好きだということもFacebook投稿から知っていたから。
そしておそらく10年以上前にきたときも、似たような言葉を言っていたことを強烈に覚えているからだ。
ホームレスに対してそこまで強い言葉を日本で聞くことは少ない。でも、アメリカでは度々(特にお金持ちの人から)その言葉が嫌悪感がよく見えることばを聞く。
ちなみにいうまでもないけれど、元来彼女はとても優しい人だ。私にあったのは人生で3回目だが、今回娘が実家にいない時期でも私たち夫婦を喜んで泊めてくれた。迎えに来てくれて、ものすごい質と量の寿司でおもてなしてくれるような人だ。
もしこれがかなり近い仲だったら私は反論したかもしれないけれど、体調が弱っていた私は彼女に深掘りして議論することを諦めてしまった。
何かをサクッと言って彼女の意見を長期的にでも変えることはきっと無理だろう、何十年もそう信じてきている人を変えられない、と。
私の周りのアメリカ人は基本的にリベラルでオバマが好きだった人たちばかりだから、こういうトランプ派の人は珍しい。
次回会ったら、もっと深掘りして聞いてみたい。
ホームレスは努力してなく、お金持ちは努力したから今があるのか
帰りの飛行機で、どんどん具合が悪くなって朦朧とする意識の中、私はある特権階級に関するYoutubeを思い出していた。
もし見てない人がいたらぜひ見て欲しいけれど、中身はこれ。
この動画は、まず教授が「100ドルをかけて、ランニングレースをしよう!一位の人は100ドルをもらえる!」というところから始まる。
「ただ、これからいうことにあてはまるものは2歩前に出て」
「両親がまだ結婚している」
「母子家庭ではない」
「私立で教育を受けていた」
「自分でお金を出さずに、家庭教師をつけてもらったことがある」
「携帯電話が使用不可になる心配したことがない」
「家族のために働いたことがない」
「スポーツ選抜で奨学金を受けて大学に来ていない」
「次の食事で何が来るか心配をしたことがない」
無邪気に大股に前にジャンプしながら二歩ずつ歩くのは、主に白人の学生。
教授に振り返って欲しいと言われて、振り返ると、大きな差ができている。気まずそうに、無表情で前を見つめた学生がいる。
ほとんど動いていないでスタートラインにいるままの学生もいる。
教授はここでいう。「今まで行ったいくつかの条件は、君たちがしてきたことには何にも関係ない。君らが決めてしたことでもないし、君たちの努力じゃない。」
そして教授は無残にも、このかけ離れた状況で”ヨーイドン!Run!” という。
大きく後ろにかけ離された人たちが、前の人を追い越して行くのはどれだけ大変なのが、映像から見てわかる。そして前を走っている人は、後ろから追い抜くのがどれだけ大変かはわからない。
最後は教授の「今やったこのアクティビティから何も学ばなかった生徒は、バカだ」という言葉でしまっている。
無意識な特権階級とノブレスオブリージュ
特権を受けている最中は、特権があることに気付かない。
殆どのことは生まれた瞬間に決まっていたりする。
それを変えるのは、それを自覚し、その特権を自分たちのためではなく、世の中のために使うものだ。
さっきの話で言えば、一番前にもともと出ていた人が100ドルを取るのを当たり前。でもその時に、何に使うのか?そこに彼・彼女の本質が見える。
また、私自身大学2−3年時、大学の留学前授業で
「君たちは世の中でトップ10%の良い教育を受けれられる人たちだ。世の中では受けたくても、受けられない人がたくさんいる。」
といわれ、衝撃を受けた。
私立女子中高一貫で育ち、周りもみんな大学に進むのが当たり前で、留学しようとしてる人も少なくなかった。
それが当たり前かと思ってきたけれど、よく考えたらそうじゃないとやっと20歳の時に気付いたのだ。
大学受験なんて自分が頑張ったからだと少なくとも思ってた。そして自分は普通の家庭で育ったと。
自分は奨学金を追うこともなく、やりたい習い事は全て行ってきて、家族の為に働かず、食べ物の心配をせずに人生を送ってきた。
「普通」が、無意識な特権階級だったのだ。
だから、私たちが今手に持ってる仕事も、家も、安全も、多少のお金も、人間関係も、個人の努力で頑張って手に入れたものと、それ以外元々の状況や環境半々だと思ってる。
この話を友人にしたら、「ノブレスオブリージュ」、つまり「一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴う」という意味のフレーズの話だね、と言われた。
そうだね。まさにそうかもしれない。
今の私たちが頑張って、社会自体を前に進められること自体が、間接的にでも「特権階級にいない人」たちを助けることになればいいな。
私だったら、さっきのレースで無意識な特権階級でリードした結果100ドルを勝ち取ったら、何に使うだろうか。
あなただったら何に使う?