世界のアラサー女性にライフストーリーを聞くシリーズです。
第一回はサンフランシスコのEvelyn, 第二回はポルトガルのポルトでAnaに話を聞きました。
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スイス人のLauraとは、確か3年ほど前に東京のパーティで出会った。
とても優しい感じの子でその場で仲良くなり、ランチしようとしていたけども、結局3度トライしてもお互い時間があわず、彼女は帰国。
そしてこの4月の4カ国(ポルトガル、スペイン、フランス、スイス)旅の途中で彼女のことを思い出して、突然連絡をしてみた。まあ、パーティであっただけなので、ダメ元で。
そしたら、すぐに返信が!
結婚して大きな家に引っ越したから泊まりにきたらとのこと。
それも、わたしのお気に入りの街バーゼルの近くで、空港まで1時間ほど。フランスからの帰り道でもあり、思っても見ないラッキーだった。
久しぶりに会った彼女は笑顔がとても素敵で、わたしもよくいわれる「エロ目」。目がなくなるタイプ。
(ローラと弟。弟とこんなに抱き合ってくっつくことなんてないよね、日本で)
Lauraの夫、父、本人、弟。
東京にいるときは大使館で働いていたけれど、基本は経営コンサルで、金融都市チューリヒの真ん中に住みキャリアを積んできた。
そこからの、ど田舎にある両親の農場の受け継ぎ。わたしも連れて行ってもらったけれど。
広い!綺麗!
羊が沢山めえめえ迎えてくれました。
ぶどう畑と格闘するLaura
聞けば、田舎暮らし/農場勤務はすごく意外なとこから現実になったそうです。
この美しいワインブドウ農場は元々、Lauraの両親の持ち物。去年Lauraはここで、学生時代から付合っていた彼と結婚式を挙げた。
結婚式準備の過程で、この農場の周りの宿泊できる場所を、結婚式のゲストである二人の友達や家族のためにAirbnbで探していたところ、この部屋が目に留まったという。
Airbnbサイト上で写真を見て気に入ったLauraは、「春になったら一泊Airbnbゲストとして泊まらせてほしい」と連絡した。
そうすると、その家の持ち主から「実はもう春には引っ越しているかもしれない」との連絡が。確認すると、次に家に住む人は決まっていないという。
このメールを機に、「この家めっちゃ素敵・・・!」「いつか将来、両親の農場を継ごう思ってたし・・・!」「実家農場からも車で5分」「コンサルの仕事も飽きてきたし」という気持ちが、Lauraの中で一気に高まる。
とはいえ、上記のメールのやり取りや思案をしている間、二人はまだ一度もこの家に入ったことがなかった。
そして春。実際にこの家に入ってみて、気持ちは即決。とにかくサイト以上に素敵な家だった。
そうと決めたらまず引っ越し。
すぐには仕事を辞めず、1時間離れたチューリヒに電車で通って経営コンサルを続けていたが、その後退職。
旦那さんも同じようにコンサルだったのだけれど仕事を辞め、今は二人でこの農業をどう盛り上げるかを企画中とのこと。
今Lauraは、両親にワインぶどう農業の仕事を学びつつ、旦那さんとウェブサイトやメールマガジンを作ってマーケティングを整えたり、自分たちも行なったウェディングなどの新ビジネスを考えたり。
今までコンサルで横から見ていた事業を、まさに行っているところで、試行錯誤しながら行っているという。
チューリヒのど真ん中に住んでたのに、それがまさかの農場勤務となるとは、ね。
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Laura夫婦とのご飯は、知的で楽しかった。
旦那さんもロシアやドイツに住んでいたので、いろんな話ができた。
Lauraが日本に来たときに、一番衝撃だったのは「日本女性の振る舞い」だったという。
・何歳までに結婚しなきゃ、何歳以降は転職しづらい、という「タイムフレーム(時間軸)」みたいなものが一般常識として存在する
・40歳で独身の女性が家族と住み、結婚できなかったことを嘆いている
・女性の外見に対するジョークなどが日常的に行われる
どれもヨーロッパにはないもので、「正直わたしは日本では生きづらいと思った。旅するには最高だけど」といった。
彼女がショックだったのは、スイス人男性の上司でさえ、女性に関するジョークを日本流にいいだしたことだという。”スイスにいたらあり得ない”ちょっとしたセクハラ発言を、許されていたのが衝撃だった。
日本は大好きだけれど、一度も帰っていないという。
(写真:美味しい野菜パイを焼いてくれました。)
翌朝。よく晴れたスイスの空を眺めながら、Laural達が駅まで歩いて送ってくれた。
そしてわたしは、3週間強の長い欧州旅を終えて、スイスから日本へ旅立った。
パーティで会っただけの仲から、突然の連絡、夕飯と一泊、そして沢山の素敵な会話をくれた二人。未来のわたし、このご恩を忘れないでください。