私が「日本のカワイイ文化の輸出」にとても深い興味を持っている事は、
このブログを呼んで下さっている皆さんならご存知かもしれない。
今までもハローキティを例とした新聞記事「カワイイを巡る国際色考察」にかいたり、ファンシーグッズの歴史についてまとめた記事を書いたりしてきた。
世界色々な場所を旅していて日本のモノをたくさん目にするが、中でもドラえもんやキティは本当に子供たちの生活の中に溶け込んでいると感じるのだ。
もう生活の中の一部というか、それぞれの感情移入が親の世代で完結し、次の世代に買うようになっているのが面白い。
さらに、たくさんあるマンガキャラクターの中でも、カワイイの要素がもっと詰まっているのがこのハローキティなのだ。
今回の本「巨額を稼ぎだすハローキティの生態」は、今まで読んだキティに関する本のなかでも特に学術的だけれど、とても面白い。
アメリカ人で日本にも住んだ事のある筆者が、カワイイ文化を冷静に分析している。
雑誌Cawaiiでの編集長のバックグラウンドからそのモデルのタイプ分けやポーズ分析、街中に溢れる日本のメッセージからハローキティについて読み解いていくのだ。
1.ソーシャル・コミュニケーション
サンリオがファンシーグッズと居呼ばれるようになった商品を開発しはじめた背景、そしてその戦略についての考察がおもしろいので下記に抜粋する。
比較的安価なファンシーグッズ—単価1000円は超えず、心温まるささやかな友情のプレゼント—を作り出す事は、他者となんらかの関係を持ちたい、あるいは社会的意義を果たしたいという人間の自然な本能に訴えるようだ。
〜中略〜
子供が一人か二人の核家族化が住む普通の家屋やマンションに足を踏み入れれば、
無数のかわいらしい子ものたち—ステッカー、ペン、文具、トイレタリー、歯ブラシやカップ、ソーサー、箸やさまざまな衣類や玩具など—が、あれこれのキャクラターを売り込んでくる。
ニッポン株式会社におとって、かわいらしさはデザイン上のブレイクスルーとなったのだ。
それは、工業化の進んだ大量消費経済社会が、よりテンポの速い、自然から遊離した、非個性的な、そしてどことなく冷たいものになったことに対する、日本なりの回答なのである。(本書第一章「キティを分解する」P.40より)
この「他者となんらかの関係を持つ、あるいは社会的意義を果たしたいという人間の自然な本能に訴える」役割をするから、ファンシーグッズはソーシャル・コミュニケーションであると辻社長は後に何度も訴える。
2000年代よりわたしたちはソーシャル・ネットワークがなくてはならない世界に生きているけれど、辻さんは数十年速くそれをデザイン付き文具で行っていたのだ。
2.キティ=反体制?
筆者は「ハローキティは確立した価値体系に対する脅威であり、爆弾を抱えた反体制でもある」と書く。
米国では10歳をすぎればキャラクターグッズを持ち歩く事は少ないが、日本では20をすぎても、わたしのように30代近くなってもキティを持ち歩く事が可能だ。
保守的な”家庭に入る”結婚観を避け、結婚することや子供を産む事を30を優に超えても”選ぶ”意識のわたしたちは、消費社会の中にいるからだという。
つまり旧体制を否定しているともいえる。
別の社会学者が言い換えると、「大人社会の持つ規範が要求している成長/成熟を拒否している」ということになる。
わたしの実感としては、私達がキティを持つ理由は単にキティがカワイイから。
もっと言うと、持っているときのほうが自分が愛される価値のある「カワイイ」気持ちになり癒されるからではないかと思っている。
キティには特にストーリーがない。かろうじて旦那と妹がいたかな、くらい。
だから、ハローキティには自分なりの意味付けができるのだ。
20代半ば会社員をしていたとき、30代半ばの女性の先輩の机がハローキティだらけだったのには衝撃を受けた。
でも、それは家では主婦、会社では一社員として忙しく働く彼女を保つお守りのように、段々見えて来た。彼女が社員でもママでもなくなる、「ガール」で居続けるお守りなのではないかと勝手に推測していた。
その15年程前、つまり私が小学生のとき彼女達は高校生。ハローキティが大ブームの頃だ。そう思うと、さらに納得がいった。
ちなみに、著者は1980年代には25-29歳女性は独身の割合が24%しかなかったのが、1998年には48%とあがっていることも指摘する。
ハローキティを持つのが独身女性に限るということはないが、独身女性のほうが消費力が高いのは確かだろう。
でも繰り返すけれど、私達はそんな深い意味を考えず、ただ「カワイイ」からそれを身につけて持ち歩いているのだ。
パンクもヒップホップもボーイズファッションもそれを何かへの反抗という社会的意義と知ったのは全て後からの事だ。
日本においてはそれは単なるカワイイ流行として取り入れられる。
キティで埋め尽くされた部屋も既に珍しくは感じない |
3.キティ批判
日本にいると批判は殆ど聞こえてこないが、アジア系アメリカ人の中でキティはしばしば批判されている。
それは、「口のない圧迫された日本人女性、もしくはアジア人女性」の象徴とみられるからだ。
ハリーポッターのような冒険のストーリーがついているわけでもなく、ミニマムな設定しかしていないキティはまるで静かなお嬢様。
大人になってもそれを持つのは恥ずかしいと考える。
本書にはキティを批判した現代アートやポエムの例もたくさん掲載されていた。
例えばキティ柄のバイブレーターを持つが、何も声を出せないキティ!
そして最後に自分で口を描いていく、といったものだ。
アジア人女性に対する「従順で清貧」なステレオタイプイメージを高めるだけ、という意見もある。
特に日本に在住歴のある米国人女性は、日本人の地位の低さを感じてキティが嫌いになった、という。
また、アジアでは別の展開を見せている。
キティが人気になりすぎての批判があったのだ。
1990年代台湾やシンガポールで爆発的人気を得たキティのぬいぐるいが、マクドナルドの景品になる。
その途端、町には何千の人が並びそのぬいぐるみを得ようと必死だった。
その中で一部喧嘩が暴動になり、店の窓ガラスが割れる等の事件に結びついた。
(これについてはNaverまとめもある!)
結果、現地文化をとってしまう日本の消費主義、物質主義の象徴であるという批判が生まれた。
物質主義であることはアメリカでもいわれているが、「人気が出過ぎて」というのはあらたなおもしろい経緯だ。
スゴいなと思うのは、日本ではこれらの批判がほぼ耳に入ってこない事だ。
他にも、キティを使った本当におぞましい事件についても載っている。
書くの怖いのでこちらをどうぞ。
これはどれだけサンリオがブランド保持をどれだけ行っているかが伺える。
優秀な法務部といえども世界中のキティを見て回るのは、容易ではないだろう。
4.サンリオとキティの登場
本書にはサンリオ社長 辻信太郎の半生や、キティ誕生とそれからの展開までが書かれている。
元公務員だったとは!
最初は雑貨商として水森亜土ややなせたかしにコミッション料を払っていたが、
自前のデザイナーを育て自前のキャラクターを作るようになった。
そして、デザイナーは「デザインが出尽くした頃に出て来たのがキティだった」といっている。その年1974年。
現在450ものキャラクターが居るサンリオ。
間違えなく、キティは稼ぎ頭であり、サンリオの、そして日本のキャラクター界の”センター”であることは誰もが否定できない。
初期ハローキティ(サンリオダウンロードページより) |
5.海外展開
1974年に生まれたキティは、1975年にキティはロサンゼルスに進出する。
80年代にはドイツとブラジルに、90年代にはアジアに。
アジアでは経済成長が進んでいるその時で、爆発的な人気を経ていく。
面白いと思ったのは、
最初そのキャラクタービジネス、ソフトパワーが日本ではかなり軽視されていたということだ。
今でこそクールジャパンともてはやされるが、
高度経済成長期やその後のバブルまで、輸出といえば重工業がメインであり、
まさかキャラクターが世界を圧巻するとは当時は誰も信じていなかったこと。
物心ついた時にはバブルが終わっていた私達世代には、ソフトパワーがあたりまえだったけれど、昔はそうでもなかったんだなというのが新たな気づきでした。
総じて、とっても面白い本!
外国人の目線でみたキティちゃん考察。
ただただ褒めるだけではなく、日本のカワイイ賞賛文化の陰にあるものを深く考察しつつ
世界からの目線と今後の展望を突き詰めて書いてあります。
少しだけ古いのが難点ですが、アップデートは個人個人でしていかないといけないね。