皆さんはひまわりをみて、どんなことを思うでしょうか。
私は肌色が黒く、誕生日も初夏なことから、花束をいただく時もよく「あみさんのイメージはひまわり」と言われてきました。
私自身、夏も黄色もひまわりも好きなのでとても嬉しいです。
「実は匂いは良くないのよね」「よくみるとブサイクなのよね」と言われたりしますが、なんとなくそこも含めて、完璧ではないけれど明るくてグングン伸びていく、というところも気に入っています。
そんなひまわりに、今年の夏は新たな記憶が追加されました。
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7月末、妊娠7ヶ月末、妊娠中期の終わりかけに、私たちの赤ちゃんの心臓が止まったのです。
クリニックそして大病院に行き、診察。
即入院と言われ、一度家に帰るも、すぐ入院。
子宮口を開くまで数日の激痛。
2日間かけて、誘発分娩で出産するまで。
初めて生まれて顔を見た瞬間。
死産してからカンガルーケアをしますか?と聞かれたとき。
退院して今度は火葬するまでの数日。
実家で産後の痛みを経験したこと。
毎晩赤ちゃんを思い隠れて泣いたこと。
今思い出してもなんか現実にまだ思えない。
心に穴がぽっかり空いて、何を考えても「なんで、なんでなの」としか思えなくて、前を向けない気持ちになりました。
看護師さん・お医者さん・母の前ではなぜか涙が出なくて、一人の時と夫といるときにしか泣けませんでした。
全部、嘘みたい。1ヶ月弱の長い悪夢を見てるんじゃないだろうか、と今も思います。
今の所、母体(私)も胎児も元気で、理由は不明。年齢でもないと先生に言われて、「原因の6割はわからない」「この時期での死産は1%以下」と言われました。
勿論ネットで色々調べ、たくさんの数字や割合が出てきましたが、結局この子が生きているかいないかという2択しか私には関係ない。
退院の日、棺に包む布を夫から持ってきてもらいました。
昨年婚約したハワイ島で貰った可愛い黄色い布。
看護師さんが選んでくれた可愛い小さなお洋服も、黄色でした。
火葬の朝、一緒に添えるためのお花を妹が買ってきてくれました。それがひまわりでした。
まだまだ小さい妊娠7ヶ月の体が入った箱(棺)に、そのひまわりを皆で泣きながら添えました。
私はその火葬場で、初めて家族の前で号泣しました。
私たちみんな心を合わせてあなたのことを待ってたんだよ。
皆にひまわりや綺麗なグリーンを入れてもらって、可愛い赤ちゃんは可愛いフラワーボックスの中で眠っていました。
何もしてあげられなかった。ほんとは生きたかったよね。一人でこんな熱い火の中に入れるなんて。ごめんね。
数十分後、出てきた小さすぎる骨を見て夫は息を飲んでました。アメリカでは土葬で、火葬場に行くこともないそうです。赤ちゃんはもちろんですが、夫も消耗してとても可哀想だった。
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信じてもらえないかもしれないけれど、生まれる前から赤ちゃんの性格を理解しているような気持ちがしていました。
毎月の妊婦健診で、最初はいつも顔を隠して、後半では見せてくれました。夫のようにシャイな性格のようです。心停止のつい数日前まで一日中激しくキックをしていて、夫は一緒にスポーツをできることを心待ちにしていました。
病院の診察ではヨガポーズみたいな面白い姿勢を見せてくれて、ヨガ好きな私を喜ばせました。
鼻が高いから顔は夫に似てるとか、でも目は私に似てるのではとか、日米両家の家族も含めて皆で盛り上がっていました。
私は妊娠3ヶ月以来、中期になってもずっとズキズキ頭痛で体調悪かったし、赤ちゃんが下降してきているからと安静に水平にと生活をしていたのですが、子供が生まれる楽しみがあったので乗り越えられてました。
でも今回のショックはまだまだ乗り越えてないです。今これを書いてても涙が出る。
こんなに友達大好きで毎日いろんな人と連絡を取っていた私が、誰にも伝えられなかった。
今でも伝えるのも毎回勇気がいるし、涙が出ます。
なんでこんなことが起こるんだろう、とか、またあの辛い妊娠期、とか我儘な気持ちも出るし、どうして流産・死産と二人の子供の命をお腹で殺してしまったんだろう、と自責の念に駆られます。
友人がSNSで何気なく「出産直前まで働いてこんな仕事をした」と書いてる投稿を見ると、私は妊娠中仕事をいつも通りできなかった上、出産もできなかった、と落ちこみます。
人と比べることや自分を責めることって本当に意味ないよ、と今まで周りに言ってきました。でも、そうしてしまう時はあると知りました。
実家から2人の狭い家に帰りました。
産後、身体の戻りは医師曰く”悪くない”です。(追記更新:さらにこの2週間後、戻りは絶好調で子宮若いと言われました)
皮肉なことに、ずっと体調が悪く起き上がるのメイクするのも辛かった妊娠中に比べ、身体に力が戻ってきました。
もちろん今は産後だから無理するなと念を押されるけど、愛育病院の麻酔分娩はやっぱりすごい。高いだけある。
オンラインミーティングの相手には何も言わずに出席して、何も起こっていなかったように笑顔で振る舞ってしまう自分も憎い。妊娠はどう?と聞かれないかドキドキ。相手に嘘をついているみたいで自己嫌悪になります。
近況を聞かれるメッセも最初は返せなかったけども、最近は事実を少しずつ伝える連絡をゆっくりしてます。
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最近、久しぶりに電車に乗って外出をしました。安静生活だった6月末以来です。
目的地はひまわり畑。
とにかく暑かったけれど綺麗だった。
涙が出るかなと思ったけれど、「また来年(以降)一緒に見ようね」と明るい気持ちになっていました。
ひまわりってやっぱりすごい。
それ以来、辛い思い出の花ではなくて、毎回私たちの赤ちゃんのことを思い返す、さらに思い入れの強い花になりました。
街で見つけたひまわりにも、太陽に向かってグングン伸びる姿にも力をもらいます。
また最近、勇気を出して話した友人に、10ヶ月で死産した後2人の子供を授かり今は活躍する人のことも教えてもらった。
人生で辛いことはあっても、自分の子供を失うこと以上の辛いことは、もうないかなと思える。つまり本当によくいう「あとは上がるだけ」状態です。
私がもしこの状態から抜け出して笑えたら、いろんな人にパワー与えられるはず。
子供を亡くした人が笑えるならば、大体のシチュエーションはなんとかなるっていえるはず。
流産・死産を二年連続でするなんて、やっぱり「私がもし〜してたら」と後悔の気持ちに負けそうになりますが、もうそれは口に出しません。
新しい命が生きるべきで、私が代わりに死ねばいいのに、と本気で思ったけれど、もうそれも言いません。
なんども看護師さんやお医者さんに「これが悪かったのか」と聞いても、何も間違えたことをしてなかったから。むしろ直前は、本当にベッドに座ることさえ避けて、寝たままパソコンを触るなどして水平に、安静にしてた。
そして、赤ちゃんは生きようとしていたんだから私は生きなくては。
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友人の皆様、なので今はゆっくりしてます。
Ami Chris Baby Factoryの工場長は、いったんお休みです。Shipment delay、つまり出荷遅延です。
LunchTripのみんな、クライアントの皆様、お友達皆様、絶句させてごめんなさい。
私は元気です、というにはちょっとまだ安定していないところがあるけれど、こういったブログを書けるようにはなりました。公開は先になるけど。
去年に引き続き、改めていうけれど命は奇跡。
神様は乗り越えられない試練以外は与えないというし、いつか赤ちゃんが帰ってきてくれること、またはいろんな形の家族を考えながら、私たちは今日も生きていきます。