それが花粉症薬のせいなのか、ナオミの事を考えていたからかもわからない。
頭も体も重くてだるくて、思考回路がショートしてた。
仕事中何度も涙が出そうになって、でもきっと他の同級生達も笑顔で仕事したり、子育てしているんだって思って耐えた。
ナオミが亡くなったと聞いて、すぐ信じられたはずがない。
彼女の親友達何人かから一気に着信が入っていて、おかしいなと感じた。彼女たちは既にご家族から聞いていて、ご家族の意向で同学年の人にたくさんお葬式にきてほしい、と。
その場で足が止まって動けなかった。電車に乗っても呆然としてた。
うそでしょ?嘘でしょ?
出先から家に着くまで何時間も口の中で呟き続けてた。
facebookでナオミのページをみたら、旦那さんのコメントがあった。
自分の親友であり一生の愛を捧げる人がいなくなってしまったことの辛さが、
短く、悲しく、そして美しく書きこまれていた。
嘘じゃないんだ。
その親友たち2人に、「手伝える事あったら何でもいって」とメールしたら、チャットになった。
きっと、泣いてばかりじゃナオミは喜ばない。今、私たちにできることは、なるべくたくさんの同学年のお友達を呼んであげる事だよ。最後のお別れを、寂しくないようにみんなで送ってあげる事。そうやって、三人でいいあってたら、余計涙がでた。
家について、ラップトップを開く。お葬式に人を呼ぶため、facebookイベントをたてた。今まで何度もイベントを作成してきたけれど、まさかこんな通知をするのに使うなんて思いもよらないよ。
あっという間に高校の友人がイベント上に集まる。学年の半分がFacebook上にいて、その日中にそのうち六割が出席ボタンを押した。地方や海外にいる人もいることを考えると、かなりの確率。
でも、生きてるときに会いたかったよ、ナオミ。
今でもまだ事故の詳細は何もわからないから、またひょこっとアメリカから帰ってきそう。
あのか細いナオミがアメリカの大きな車の事故に巻き込まれたんじゃないかと思うと、胸がしめつけられるし、体が痛くなる。
私でさえこんなに胸がつかえて苦しいのだから、もっと近いお友達は。ご家族は、ご主人は。想像もつかない。
ナオミとは中学高校の6年間のうち4年も同じクラスだった。
アメリカが好きで、中3のときに短期留学。高校2年でフロリダへ1年の交換留学。大学は日本の私立にポンと受かるも、すぐにハワイへ。
そして旦那様と結婚して、サンディエゴへ移住。私は卒業してからも数回も会ってはなかったけれど、彼女が見た目通り繊細な部分を持っていること、決めた事を信じ、周りになんと言われようと実行する強い子ということ、充分わかってた。
Facebookが日本で流行り始める前に、すぐにナオミと繋がって以来、頻繁にコメントを残し合った。それこそ距離も、時間も超えて。ナオミはかなりSNSで日本の友人に繋がろうとしているように見えた。去年の帰国時も会おうといっていたけれど叶わず、でもまた彼女は帰国するし私も米国行くしまたね〜、と軽く言い合ってた。
まさか、その「またね」が来ないなんて。。
まだ聞いて2日で消化しきれてないけれど、この時点でナオミに教えてもらった事を書いてみる。
-苛々するのも落ち込むのも、笑うのも泣くのも、人に出会うのも別れるのも、生きているからできること。もうあの可愛いナオミの笑顔は見えない。
-人生を、好きなことで通す事。彼女は妥協なんてしなかった。日本の大学卒業よりも、ハワイでの生活を選んだ。
-誰でも、どこでも死に得ること。人間は生まれた時から死に向かって生きてて、いきなりそれが来るかもしれないこと。[当たり前の日常は、死と隣り合わせ]と友達がいってたけど、その通りだね。
-「またね」は来ないかもしれないこと。
ランチトリップtogo便でミカさんが”誰々くん、元気?と気軽に聞けるのは日本が平和だから”、と言ってたけど、その通りだ。
今でも、まだ信じられない。
「一瞬一瞬大事に生きて行こう」という言葉にも、実際どうしていいかわからないの。
でも、きっとナオミは私達に笑っててほしいし、前を向いてほしいって思ってる。
私が死んだとしてもそう思うから。
-明日死ぬも知れないと思えば、怖いものなんて殆どない。
“死の前では、恐れや見栄や余計な事柄は無意味だ”ってSteve Jobsも言ってた。
もちろん現実はそんなに簡単じゃない。
でも、明日死ぬとしても、わたしは今の自分に満足できるのかな?大好きな人に大好きって伝え、やりたいことをやってるかな?
わたしもナオミみたいに、好きなこと好きな人に対する好き!を、全身全霊で表して生きてくよ。
ナオミ、ありがとう。
安らかに眠ってね。
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今回はblogの主旨とは外れたけど、今のショックな気持ちとナオミが気づかせてくれた事を文字にしたかったので書きました。
でも本当は、文字にする事で自分自身を前に進めたいだけかもしれない。