わたくし最近、JAPAN FASHION WEEKの運営チームに携わりはじめました。
Japan Fashion Weekのスローガンは、この3つ。
1. 世界に向けた新人デザイナーの登竜門に
2.「創」(デザイナー)、「匠」(製造事業者)、「商」(アパレル・小売)の連携の起点に
3. 東京をもっとおしゃれで楽しい街に
日本の新たなデザイナーが海外へ向けて出て行くときのコレクションショー!と考えてもらえばいいかなぁ。
私がこのブログで何度も言っている「日本ファッションを外へ出したい」それを官民一体で実現する場に関われて、私は今とても幸せです。
とはいえ、前の工業用ミシンの会社を辞めてから半年、いろんなことがありました。
夏が始まる前、会社を辞めたときには事情があり次を確定しておらず。
それでも、アパレル工場を日本中国インドと回ってコンサルしながら
リーマンショックでどんどん倒れていく工場を見て日本のアパレルやばいんじゃないか、どうにかしなきゃという思いがあり、それに取り組もうと言う事は決めていました。
私たちの研修でお世話になった国内工場が、翌年後輩の研修でいこうとしたら存在しなくなっていたり、
海外を回っていても韓国中国のお店はあっても日本の服はなかったりと、
わたしにとって日本のファッションの海外展開は「自分のテーマ」だったんです。
4年で経験した海外工場のコンサル部署も、海外売上9割の会社での事業企画や貿易実務も、手を挙げてアシスタントをしていた広報の部署も、
書き尽くせないくらいいい経験でした。
でも、私はミシンの会社であがっていくプロになる事よりも、自分のテーマにチャレンジしたくなった。方向性の違いを感じてました。
折角留まるようにいってくれてるのに、大好きな上司や先輩後輩に別れをいい、しかも次が決まっていないと言うのはとても怖かった。
最後の飲み会では、あーついにこの時が来てしまったと思い、涙が止まりませんでした。
この会社にいて出来る事と出来ない事で、わたしは出来ない事を選んだけれども、
安定より恩を捨てているように思えて。
だから、自分が納得する状況になるまで、SNSやウェブ上では公開しないと決めました。
上司や後輩に、あみちゃんプーやってるんだってと言われるのは、がっかりさせるだけで失礼だと大学の先生にいわれたんです。
黙るのは苦しかったけれど、人には言わない事にした
。
代わりに、部屋の目に見えるところに後輩から手紙や色紙を何枚も飾った。
キャリアコンサルタントに勧められるまま転職活動をして内定をいただくことができました。お給料アップ。でも結局、辞めた理由と一致せず納得できなかったんです。
そこで、6月にPARSONSのパリ校にいって、Fashion Managementのコースをとることにしました。
世界各地から来たバイヤーやデザイナーがいるクラス。 課外授業も多かった☆ |
その授業でMaresエリアでStreet Snapを撮る授業はわたしのその後の人生を変えた。なーんて大げさかしら?
それまでも少し撮っていたけれどその授業が背中を押して、そのあとどんどん撮るようになりました。
パリでのストリートスナップ第一号!
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帰国してから、すぐにシュウカツをして、またしても素敵なオファーをいただいた。
でも私自身の目標とのずれを感じてお断りすることが何度も続きました。
何をしているんだろう、と自分で落ち込むという悪循環。
富士山や飛騨にいったり、無職ならではの自由で贅沢な時間の使い方をしていたのに、
わたしだけ働いていない事への罪悪感が強かった。
そうして夏が終わろうとする頃、なんと銀座で倒れて人生で初めて入院する事態に。
自律神経が弱ってるとのこと。理由は不明だけれど大事に至らず。
あえていうならストレスと言われ、さらに家族や周りの人に申し訳なさでいっぱいになった。
みんなより自由に気楽に過ごしてるのに、ストレスなんて感じてないのに、なんで入院なんてしてるんだろうと。
でもそこで真剣なお医者さんや看護婦さんを見て、吹っ切れた。そのときは、死ぬまでにしたい事とか初めて本気で考えたけれど。
3日で退院して、もうシュウカツは辞めた。
暇なはずなのになぜか忙しかったこの夏。
働いてる人みんなに「何してるの?」と言われるのだけれど
好きなことを真剣にやると、結構忙しいんだよ!笑
私が好きで真剣にやったことを大きく分けると3つ。
まずは、LunchTripを事業化できるように考えること(←それが簡単じゃないことも今年学んだ大きな事)。
そしてこのFashionFlightブログを今まで真剣に事象を調べて書くこと。
米国サンフランシスコ/中国アモイ/ネパール カトマンズ/フランス パリ/イタリア ミラノ、チンケテッラ/韓国 釜山/香港/ペルーリマ・クスコ/米国アトランタ/マレーシア クアラルプール。
世界一周をするということもできたけれど、私は生活の中に海外を取り込みたいなと思っていて、それを実現できた一年でもありました。
出かけてはしゃいで買い物してパーティして、何より本音で話して悩み合って、親友と呼べる人が去年よりずっと多い。世界中で出来た友達は、本当に宝物です。
5年前ブログを一緒に始めた親友adelleと決意表明したSF。 どん底だった彼女も今はGoogle fashion editor! |
LTらしい旅を実現させてくれたmanojさんと今年は転機の相棒だったなほ@NEPAL |
今でもSkypeするくらい仲良しなお友達@CHINA |
誕生日は帰ったらケーキが用意してあって感動。@VERSILLE |
Best friend in paris : Ed! Best musiq guy for partying! |
With Canadian hottie firends@Versille |
イタリアきたら絶対おすすめcinque terraで感激 |
milanoでジェラート♥んまんま |
ディズニーシーでいって憧れたveniceの本物 |
頂上でJaimeeさやかちゃんと看板娘してはしゃいだら一時間だけ高山病になったMt.Fuji |
人間的な暖かさで今年ホント助けてもらったみかさんと旦那さん@飛騨 |
みかさんのお勧め「白川郷よりこっちが本物」 |
HongKongの雑踏で素敵な小道をみつけて素敵な出会い沢山 |
美味すぎて悶えて4個食べたMacauのエッグタルト |
ギラついてない美人ブロガー由布子ちゃんとガンナムスタイルを踊る@Busan, Korea |
気軽に会えないから余計に恋しい、Limaの大好きな友達♥ |
with 博識女子SweePing@KL |
トニー社長とのMardi Gras Party. |
は!気づくといつのまにか旅の話題にずれてしまった。。。。
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とにかく、ほんとにゆっくり、でも確実に良いことが起こりはじめたのは秋になってからなんです。
ブログを呼んで下さる方にセミナーに呼んでいただいたり
ストリートで撮影したひとがインスタレーションショーやご縁でコレクションに呼んでいただいたり
ブロガーとして招待されて記者会見やパーティや旅レポをしたり
気軽に受けたテレビ局の常識試験になぜか二百人中一位ですよと連絡が入ったり(奇跡)
海外のサイトからあなたのブログは素敵だから一緒にお仕事したいと言われたり
ガガの着ている服を扱うお店の社長にランチを誘われてコレクション見に行ったり、、、、
LunchTripでは退院の直後にラジオにでました。
本当に驚くことばかり。
青空の青さえ恨めしく感じたときから、
色づく秋を喜べるような余裕がでたのは最近やっとです。
今一番嬉しいのは、目標としていた「日本ファッションを外に出す」ということと
全く同じ目標を持つ「Japan Fashion Week」の運営に携わっていること。
理念的なことが大事な性格のせいか、毎日、小さい事でも楽しくて!
LunchTripはもちろんブロガー関連も継けられる環境で、ホントに最高です。
この初心を忘れずに、でももっと日本アパレルが海外に注目されるように
動いていきたいし、考えていきたいと思います。
まずは3月のJapan Fashion Week 2013A/Wだよ!がんばります。
辞めるというのは自分で選んだ道なのに、一時期本当に落ち込んだ。
あーわたしには何にもないんだ、と思って、誰とも話したくなかった。
何もしないことが今までなかったので、それだけで恐怖だった。
目標はあるけれど、やりたいことはあるのに、それはスッチー/アナウンサー/薬剤師のように職業名がついているものではない。
どういう道をいったら良いのか分からなくて途方に暮れる私に、
それでも「絶対大丈夫!」といい続けてくれたひとたちをホントに大事にしたい。
もし周りでリスクをとることに躊躇している人がいたら
何もいわず、そっと背中を押せるようになりたいなと思います。
一時期なにか谷があったって、神様は見てくれてるってわかったから。
そして、焦らなくていいけれど発信し続ける事をお勧めしたいな。
(まあ、私は焦らなくていいと言われたって無意味だったけどね。)
旅/ファッション/LunchTripという”アソビ”と、前職での経験がカタチになるのには、時間が必要だったのかな、と今になって思います。
やっと言えるよ、自分のドラマチックな一年に満足してるって。
思い切ってジャンプしてみて良かったって。
長くなったけれど読んでくれてありがとうございます。
こうやって今は自己満ブログかいてるわたしも、今後はわからない。
けれど、区切りに書くことができてよかったです。