最近すごい本と出会いました。
ただの本ではありません。絵本です。
そして、ただの絵本ではありません。DVに関する絵本です。
その名も、「パパと怒り鬼」。
パパと怒り鬼―話してごらん、だれかに
DVをするお父さんを見つめる子供の目線で描いてあります。
DVをするお父さんのことを、子供は決して責めていません。
ただ、あの怖い「怒り鬼:がお父さんの後ろから乗り移り、お母さんを叩き、自分がなにも言えなくなっていく気持ちをただただ示しているのです。この帯の小さい字の最後の言葉が言い表している。
「DV家庭の子供たちは、とても良い子になっているかもしれません。
とても傷ついているのに。
だからこそ、子供たちのSOSに気付かねばなりません。
DVをしてしまう親も、かつてのSOSを出せない子供だったのかもしれないのですから。」最後の一行が、本当にその通り。
よく虐待をする親は小さい時に虐待を受けていた、ということが有名になって来たけれど、DVだってそう。親がされているのを、子供ながらにみて、何もできずに、誰も言えずに、SOSを出せずに居た。それで、大人になっても同じ事をしてしまって苦しんでいる。そんな場合もあるかもしれない。
ただの本ではありません。絵本です。
そして、ただの絵本ではありません。DVに関する絵本です。
その名も、「パパと怒り鬼」。
パパと怒り鬼―話してごらん、だれかに
DVをするお父さんを見つめる子供の目線で描いてあります。
DVをするお父さんのことを、子供は決して責めていません。
ただ、あの怖い「怒り鬼:がお父さんの後ろから乗り移り、お母さんを叩き、自分がなにも言えなくなっていく気持ちをただただ示しているのです。この帯の小さい字の最後の言葉が言い表している。
「DV家庭の子供たちは、とても良い子になっているかもしれません。
とても傷ついているのに。
だからこそ、子供たちのSOSに気付かねばなりません。
DVをしてしまう親も、かつてのSOSを出せない子供だったのかもしれないのですから。」最後の一行が、本当にその通り。
よく虐待をする親は小さい時に虐待を受けていた、ということが有名になって来たけれど、DVだってそう。親がされているのを、子供ながらにみて、何もできずに、誰も言えずに、SOSを出せずに居た。それで、大人になっても同じ事をしてしまって苦しんでいる。そんな場合もあるかもしれない。
もちろん、DV加害者を支えようという気持ちは全くないのですが
直接の被害者からだけでなく、第三者でありかつ被害者である子供の目線から描いたこの本は素晴らしいと思う。
今までもあった問題だけれど、この視点で出版すること自体にものすごく意味があると思う。
これはノルウェー語翻訳者でもある青木順子さんにお会いしたときにいただいた本です。
この手の本にしては結構売れたのよ、とおっしゃっていました。
前回の性教育の事もそうだけれど、ノルウェーの教育って面白いね。
真っ正面から問題にも向かっていくかんじで、わたしは好きです。
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