“その性格、生まれつき?親の教育のせい? それとも…“だった。内向的、外交的な性格は先天的なのか?というトピック。これ、気になる。
高校生のとき保育園でボランティアをして、三才の子供でも性格や反応が全然違うことが面白くて教育学部ばかり受験したほど、昔から気になるテーマ。
生まれつきの性格は、確かにある。けど、わたしはそれは変わると信じている。
なぜなら、自分自身性格が変わった経験があるからだ。
今でこそ誰からも外交的といわれ、実際新たな人々と出会うのが大好きなのですが、この性格は後天的なものなのです。
最初の幼稚園に通っていた五才の頃、友人を作るのに手間取ることはなかったが、自分はおとなしい人種だと思っていた。
マンションのお友達皆が外に遊びに行く中、一人で人形遊びをしたいというような子供だったのだ。
そうと言うと親ががっかりした顔も覚えている。なんとなく自分を表現できないもどかしさを感じつつも、それが私の性格だった。
幼稚園では、背も高いこともありお姉さんだと先生から頼られている自分、いろいろなことが人よりできて、我儘を言わない自分、でも褒められるのでそうすべきだと思っていた。
おとなしい、いい子な五才児。
毎日お遊戯があり、お絵描きがあり、一生懸命参加した。体操では測定があり、平均台から降りた不満そうな顔の写真が残っている。
友達も多く五歳時なりに幸せだったが、自分から他人の輪に入って行く事には怖気づくほうだった。
ところが六才半で関西に引越しがきまる。既に人生三度目の引越しだったが、子供にとって引越しは一大事なのだ。生まれて初めて、友人と永遠に会えないといって涙した。
新たに通う幼稚園はなんだか色々と違った。
言葉もイントネーションも違う。みな関西弁だ。
先生がお姉さんからおばちゃんになった。
園児服が違う。みな、体操着だった、。
それから、何が違うってとにかく自由なのだ。
自由な時間が多く、自分で遊びを決められる。
前の幼稚園では男の子の遊びと決まっていた工作もできる。しかも、釘やトンカチを使ってもいい。リズム体操の時間は元気良く飛び跳ねることが一番大事。合ってなくてもよい。
運動会では、お遊戯会をかねてカレーの作り方を身体で表現する。正しい動きをしないと怒られるなんてことはない。人参に、ジャガイモに、油に、火に、水になりきって全身で表現することが大事だった。何十回練習しても飽きなくて、何から何まで新鮮だった。身体からエネルギーが湧いてくる感覚は、前の幼稚園では得られなかった。
母が何より驚いたのは、わたしが列の一番前で嬉しそうに手をあげて歩く遠足の写真だそうだ。前の幼稚園では何をするにも背の順だったため、背の高い私は最後ばかりだった。遠足のカメラマンがとる写真の私は、つまらなそうだったという。ここでは、ルールはない。並んだ順だった。
持ち物や身につけるものも自由だった。カバンは自分の好きな物を持ってきて良い。卒園まで半年しか残されていなかった為母はわざわざ皆と同じ園児服を買ってくれなかったため不満だったが、新学期が始まるとそんなことは気にならないほど皆様々だった。思えば、前の幼稚園ではいわゆる私立幼稚園のブレザー園児服をきていた。あれは、、、可愛いけれど、園児には動きにくい。着ていることが誇らしかったのは確かだが、動きやすさはなかった。園についたらスモックというものに着替え、さらに運動の時間には体操服に着替えなくてはならない。前の幼稚園で感じていたもどかしさは、この園児服にあるのかもしれない、といったら安直か。
新たな幼稚園では基本的に体操着が正装というほど常に体操着だった。
冬でも半袖の運動着で通う子供が多くいて(ジャイアンか!)わたしもそれに憧れてトライした。
結果、私はみるみる活動的な子供になった。
雲梯も、登り棒もできるようになった。
走るのも好きになり社宅の周りを男の子達と駆け回って色鬼したり、女の子達と花いちもんめをした。
自分から、「よーせーて!(関西弁で“仲間に入れて”の意味)」と言えるようになった。
特に運動神経がよかったわけではないけれども、自分から好きなことを選び、行う環境によって、私は六才児なりにいろんなことにチャレンジすることができた。
だから、性格は後天的に変えられる、と私は言いたい。
性格を変えるのは、明らかに環境だ。
家族であり、身の回りの大人であり、友人であり、身につけるもの、目に入る風景、耳に入ってくる言葉、口にする食べ物、日常の匂い、気温、、、、。
それら全ての細かいピース(Piece=片鱗)が美しいパズルのように人間の性格や考え方を形成する。当たり前の話。
もちろん若ければ若いほど、変化は起こりやすいと思う。
分母となる経験の数が少ないから、素直に変化を起こしやすい。
もしこのブログを呼んでくれている方が小さい子供のいるママで、子供には常に可愛い服を着せたいと思っていたら、少し考えてみてほしい。
子供は可愛いと母が喜ぶ顔を見ると嬉しいから喜ぶだろう。小さい時から美的センスを磨けるともいえるだろう。
でも、活動に制限を加えているかも。
もしあなたが日本のものを海外へ売ろうとするビジネスマンなら、または海外のものを日本へ売るビジネスウーマンなら、
その人に響く経験や細かいピースを、日常から拾うことができるかもしれない。
そのお客さんは、その相手はどんなものを何を食べ、身につけて耳にいれて育ったのか。