こんにちは。コミュニティコンサルタント 兼 トラベルコラムニスト 兼 NPO法人LunchTrip共同代表の松澤亜美です。 今日はお仕事のスタンスについて。
「この会社って本当に恵まれてて・・・」
と福利厚生や、業界で優遇されているお話をされる男の人がいたら、本人はカッコつけてるつもりかもしれないけれど、魅力的に感じてません。口はへーそれは素敵ですね、と言いながら。(ごめんなさい!笑)
それは、「俺の仕事価値ってこれ以下だけれど過大評価してもらってる」というように聞こえるから。
自分がやった仕事じゃないけれど先輩たちが頑張ったから、そこに恵みがあるということだから。
転職するする、と8年くらい言い続けて、
「結局今の会社以上に恵まれた環境ってないから転職しない」
というのを繰り返している友達がいます。
具体的に何に恵まれてるの?と聞いて、考えた結果出てきたのは「家賃・飲食補助、名刺を渡した時の相手の反応」だそうです。
それって、今の環境以上のものは自分では作れないと言ってるのと同じで、勿体無い(もともと能力がすごく高い人だと思うですが)。
偶然の生み落とされた家族や生まれた場所、または上司や同僚、もしくや天候や子宝など自分が選べないことに対して「恵まれている」という言葉を使うのは納得がいくんだけれど、自分の選択が影響できる範囲に対しての「恵まれた」という言葉に、なんだか私は違和感を覚えてしまうのです。
冒頭のように「会社が恵んでくれてる」文脈の場合、自分にとってのチャレンジよりも会社のの福利厚生とか、先輩たちが作ってくれた功績とかを選んでいるだけじゃないかな、と思ってしまう。
で、こういうのってその会社で誰かが言ってるのを聞いて、後輩が真似してる。「俺らって恵まれてるよな」という言葉を、下が「そうか、俺らは特権階級なんだな」と盲目的に思って、そのまま外にも言ってしまう。
会社が大きくなり、最初に「恵みを作った人」の姿が物理的にも年代的にも離れれば離れるほど、無意識にそういう発言が出てくるんじゃないかなと思います。
(大人になると、天から降ってくる恵みなんてほとんどない。あるのは、小さな選択の積重ねの結果であり、場合によっては何かのトレードオフ。という私もよく無意識に「周りの人に恵まれてる」「クライアントに恵まれてる」と言ってるんだけれど、その環境はある程度自分で作ってきた、と言える。もちろんダメなことも辛いことも、基本的に自分が原因。)
その「恵み」を作るまでの状況を作った先輩たちに対してはすごく尊敬の念を抱くけれど、それをただ享受してるだけの冒頭のような人は別に憧れないなあ。
恵まれるだけではなくて、恵みを自ら作れるチャレンジャーに、わたしはなりたい。
↓の写真は、週末に行った三浦海岸より。夕日が綺麗で、思わず伸びる。潮風はすごかった。
↓の写真は、5月にいったタイ🇹🇭チェンマイでのカフェにて。自然の恵みをたっぷり満喫してきました♡
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