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5月の半ばに、10年ほど前、二年ほど住んでいたシェアハウスの同窓会があった。
数ヶ月前から連絡が来ていて、ホテル(と言っても渋谷の宮下公園の上にある、今どきおしゃれホテル)でのビュッフェ形式。なんかオフィシャルなイベントだ!
10年経った今も尚、しょっちゅう連絡を取る友達は数人いるものの、久しぶりに会うメンバーも多くて楽しみ8割、ドキドキ2割。
私がいたシェアハウスとその関係
ハウスというよりは「12階だてマンション全体がシェアハウス」で、
何階かごとにテーマがあり大きくて綺麗なキッチンがあり、バストイレはいくつかを共有だった。
新築で、掃除の人も週何日も来てくださってて綺麗だった。
確か家賃10万円くらいだった気がする。(当時の私には安くなかった。だって2014年に一回目のフリーランスになったばっかりだったから!)
私はそのシェアハウスがオープンして1−2ヶ月くらいで入ったので、「ほぼ初期メンバー」。
ほとんどが私含めアラサーでみんな健全な社会人で、その中で数えきれないくらい飲み会してパーティして、遊んで泣いて。
仕事で夜10時に帰ってきてそれから夜ご飯一緒に食べて、夜中に寝てみたいな生活だった。(今は夜9時に子供と寝るので、そんな生活信じられない)
親友もお姉ちゃんお兄ちゃん存在もできて、恋愛もしたし、なんていうか家族だった。
(実際結婚したカップルも何組もいる。完全余談だが、誰かが付き合っていると公開されると”合意の上”でシェア何十人を呼び夜9時に会見を開き、私は司会とインタビューアー役で超楽しかった。記者役とか、カメラマン役とか、ヤジ役の人もいた。また誕生日パーティのサプライズは常に本気。ハロウィンも本気で、コスチュームどころかバーまで作った。大の大人たちが夜遅くまで夜な夜な常に全力で何やってんの、と思い出しても笑えてくる。笑)
そのシェアハウスから涙の卒業(すごいパーティと動画ありがとう)をした後も、キャンプにも何度もいった。結婚式にもたくさん招待して来てくれた。ダンスで盛り上げてくれた。
・・・
でも、私はその後、仕事での独立・起業、入籍・流産・死産・妊娠・出産・子育て・そして海外と国内で引越し4回、更にほぼその全てにコロナが被った、という言い訳でシェアで実際会う友人が激減した。
それが、当日のドキドキ2割に繋がった。
ちなみに近所に住む友達と一緒に向かったので、ラインに入っている名前を確認しながら行く往路から、もう電車中で笑いを堪えきれきれず、始まる前から行ってよかった、と思った(笑)
実際どうだった?
前章が長くなったけれど、実際行ってみてどうだったか。
・みんなアラフォーになっていた(当たり前)。笑
けど、関係は全く変わらなくて本当に楽しく、この食いしん坊な私が食べる時間もったいないと思うほどだった。
(大体どんな場面でも無意識にたくさん食べてしまうため、私にとってこの事象は大変珍しいのである)
小さい頃、父が「昔の仲間と話すと一瞬で元に戻っちゃうんだよ」とよく言ってて、なんかそれ自体が老けた発言だなあと思ってたがw、それがわかる。しかもアラフォーにとってたった10年前は、もうそこまで昔ではない。
学びもたくさんあった。
・いろんな家族の形、愛の形がある。
10年経つと、結婚した人、子供できた人も多い。一方、離婚したカップルもいれば、危機を乗り越えたという話も、今危機だという話も聞いたし、当時のカップルがよりを戻した話には嬉しくて叫んだし(噂は聞いてた)、新パートナーとも入籍はせずこのまま多分行く、という話も聞いた。
今自分が子育て真っ最中なので、やっぱり似た家族・夫婦の形と話すことが多かったけれど皆のを聞いて本当に「各自、それぞれ幸せであればいい」と思った。
綺麗事みたいだけれど本当に。愛にはいろんな形がある。それでいいのだ。
・友人と勝手に自分で距離をとっていたことに気づいた
今回久々に会うのをとても楽しみにしていた友達。当時めちゃ仲良い友達はたくさんいたんだけれど、その中でも英語と中国語とスペイン語が話せる2人とは、階が違っても仲良くてよく外でも遊んだ。うち一人の結婚式で二次会の司会も務めたし、彼女が海外転勤の時は家具もらった、ありがとう。
当時からキャリアの話も、恋の話もしたし、誇りに思える友達だった。
でも二人は先に結婚して駐在について行ったりで距離的に離れ、私は仕事独立してめちゃ忙しくなり、彼女たちの帰国後今度は私も日本を離れた。
そして何より、「きっとあの子たちは子育ても仕事もめっちゃうまく行ってるんだろうな」という私の思い込み、そして勝手に差をつけて、なんだか連絡できなくなっていた。ということに、今回改めて自分で気づいた。
書いてて思い出したけれど、一人は駐在帯同で妊娠中にMBAを取得し、もう一人は駐在中にも子育てしながら時短で働き役員になったとSNSで見た。ほんと、二人ともすごすぎだろ!
ただそれを読んだタイミングが良くなかった。死産直後だったのだ。
「私なんて、流産も、死産もした。妊娠中も苦しくて仕事ができない体調の悪さが続いて、当時たくさん仕事を減らさざるを得なかった。私はまだ出産もしてないのに、妊娠だけでも苦しくて、私はなんてダメな人間なんだろう」とただでさえ落ち込んでるのにと勝手に比べ、勝手に激しく落ち込んだんだった。書いてて思い出した。
だから、無意識にダメな自分を実感しそうで、連絡する手が遠のいていた、ことに会って気づいた。
ちなみに産後、私にとっては流産・死産を経た後の子育てはやはり格別に嬉しくて、せっかくクライアントが「アメリカにいても、ドバイにいても」と連絡してくれても、子育てを優先した。だから別に自分の選択なのだ。
そして話してみて改めて、華やかなキャリアの中にも二人にも、子供が小さい時は葛藤があり子育て優先にして、でも海外で専業主婦として謳歌している人たちにもたくさんあり価値が変わったりして。
ああ、なんだ、同じじゃんか。
私が勝手に二人に距離を感じていて、しかも言語化できてないほどにそれが染み付いてたんだった。
”SNSやテキストだけじゃ相手の全てはわからない”。現代社会では当然な事である。
私なんてメタやピンタレストのコミュニティマネージャーだったくせに。それでも、無意識に自分が傷つかないように距離をとっていたことに気づき、そして相手も葛藤があったというのは、私にとって大きな大きな学びだった。
でも人間は原始時代から感情の生き物なので、落ち込んだ感情の記憶があると、そこに近づかなくなる。詳細は忘れてたけれど連絡してなかったのは、そういうことだ。
改めて覚書き:落ち込んだ時にS NS見るな。他人の成功となぜか余計比較して、勝手に落ち込むぞ。
・”早稲女と結婚すればよかった”の衝撃
年下の男友達と話してたら突然、◯◯ちゃんとあみちゃんはなんで母親なのに、今働かなくても良いのに働きたいんですか。僕も早稲女と結婚すればよかった、と言われた。衝撃だった。
この「早稲女っぽい」という言葉自体、なんちゅーかもう卒業してかなり経つ私には隔世の感だったが、私はそういえば大学の時から「バリバリ働きながら子育てもめっちゃエンジョイするのが一番かっこいい」と思ってたことを、帰り道思い出した。
ゼミに入る時、将来の夢欄に「仕事も家庭も出来るスーパーかあちゃん」と書いたのを自分でも覚えている。
(全部を完璧にやるなんて無理なのにね。)
そして当時、早稲女という生き物は、世の中では「男性と張り合おうとする女」として見られ、ニーズがない、モテない像としてよく取り上げられていた、と記憶する。
例えばサークルでも、女子大から来た子の方が優遇される、ということは日常的だった。
だからこそ、その言葉に色々びっくりした。
もちろん私も産後は理想がそれだけじゃないと知る。
子供は想像以上に可愛い。小さいうち専業にしたくて環境が許すならそうしたらいい。ドバイの女性なんてワーキングウーマンには全く憧れず、むしろ子供いない主婦でもメイドがいてブランド品を買うのを自慢する、みたいな世界だ。
子供を産み、全く逆の世界を見てきて、大学生の時の理想が世界中で同じじゃないことを知ることになるけれど、先ほどの死産の時の落ち込みや、産後両立できてない(むしろしようともしてない)自分に落ち込んだのは、この大学カルチャーなのか!と思い、なんか腑においた。
そして、今もその理想が完璧に変わったかといえば、そんなことない。
私は働く達成感も大好きなので、両方やって行きたい。
そういう人、我らの世代では多いんじゃないかな?
それにしても早稲女のみんなよ!今更ながら、時代は追い風だぞ。みんな共働きが当たり前の世代、勝手に仕事辞められたら困ると思ってる男性も多いんだなと思った。むしろ早稲女は働きたい人が多いので、時代が我らにやっと追いついたぞ。
・無意識に、今幸せですよアピールしてしまった気がする
今思い返せば、同窓会中10年ぶりに会った人たちに対して、私は無意識に「幸せアピールをしたんじゃないか」、と思った。なんか急いで十年間をまとめて話さなきゃいけなくて。その中でネガティブなことも言えるような人の方が、本当は魅力的だと思う。
私、いいことばっかり言ってたんじゃないか?と思ったりした。でも、まあ今現在幸せなのも事実だからな。←
・10年前のことは細かいことは大抵忘れてる
10年前がそんな前じゃないと書いたけど、久しぶりの友達と話すと私に関する内容で思いだすネタが「えっそんなことあったっけ」ということが多くて驚いた。「あみちゃんこんな事あったよね、一緒にしたよね」「えっそうだっけ!」
あんなに大人数が住んでれば、人間関係の騒動もあった・・・はず。
でもさ、ネガティブなこと、あんまり思い出せないのよ。
思い出すのは、みんなで爆笑してる姿や、パーティしてる姿、楽しいことばっかり。
なんだか皆で住んでたのが幻みたいに思えた。でも最高な幻ね。
そう思うと、今生きてる毎日も、10年後、子供達が13歳と11歳の時には、あんな時あったかなあと思うんだろうな。
今はやっと復活した仕事とそれでバタバタしてる姿も葛藤も、きっとぼんやり懐かしく思うか、忘れてるだろう。
基本未来を見るから過去は忘れてしまうので、忘れる前にこうやってブログ書いてるのです。
だからさ、改めて、今の生活でも小さいことで落ち込む意味ないよね。
多分10年後には忘れてるから!笑

シェアのみんなへ:
じゃみんな、またね!5年後ね。🖐️
幹事のお兄さんAにLINEで次いつがいいと思う、て聞かれたから、5年後がいいと思う、と私は答えておいたよ!😆
In mid-May, I attended a reunion for the share house I lived in almost a decade ago. It wasn’t just a house—it was a 12-story building in Tokyo where each floor had a theme, gorgeous shared kitchens, and multiple shared bathrooms. It was brand new at the time, and cleaners came regularly, which meant everything was always spotless. Rent was around 100,000 yen a month—not exactly cheap for me back then, as I had just gone freelance for the first time in 2014.
I moved in just a month or two after the place opened, so I was basically one of the “founding members.” Most residents were in their late 20s or early 30s—working professionals who were there to build community. We threw endless parties, cried together, celebrated birthdays and breakups, and created what can only be described as a big, chaotic, loving family.
There were even a few couples who ended up getting married. Whenever someone announced they were dating, we held a mock press conference at 9 p.m. with “interviewers,” “camera crews,” and even “hecklers.” Halloween parties involved full-blown DIY bars, and birthday surprises were executed with military precision. It was a beautiful mess, and I laughed just remembering it all.
After moving out—with a farewell party and video that left me in tears—I stayed close with a few friends. We went camping, attended weddings, and kept each other in the loop. But over time, life happened. I started my own business, got married, experienced miscarriage and stillbirth, moved four times (including overseas), had children, and yes—all of this overlapped with the pandemic. My visits with share house friends became rare, which led to the 20% anxiety I felt on the day of the reunion.
That morning, I headed to the reunion with a nearby friend, already laughing on the train while scrolling through the attendee list. The event was held at a trendy hotel above Miyashita Park in Shibuya—a buffet-style dinner in a stylish setting. Very official!
So, how did it go?
We’re all in our 30s and 40s now, which of course made sense. But despite the years, the vibe was just the same. I was having so much fun I barely ate, which is very unlike me. My dad used to say, “When you meet old friends, it’s like you’re instantly transported back.” I used to roll my eyes at that—but now, I totally get it.
Here are a few things the reunion reminded me of:
- Love and family come in many forms. Some friends are married with kids; others divorced, rekindled old relationships, or chose long-term partnerships without marriage. I’m deep in the parenting phase, so I tend to talk with those in similar situations. But hearing everyone’s stories reminded me: happiness doesn’t follow one formula. And love? It looks different for everyone—and that’s okay.
- I had unintentionally distanced myself from certain friends. There were two multilingual friends I had been especially close with. We hung out a lot, even though we lived on different floors. I hosted one of their wedding receptions and received furniture when she relocated abroad. But after they married and followed partners on expat assignments, and I threw myself into entrepreneurship, our paths diverged.Later, they returned to Japan. But by then, I was going through pregnancy loss and major life transitions. I saw on social media that one of them got her MBA while pregnant abroad, and the other became a company executive while raising a child overseas. Amazing, right?But I read those updates right after my stillbirth. I was physically weak and emotionally shattered. It triggered a spiral: “I’m not strong like them. I can’t even handle pregnancy without falling apart.” That silent comparison planted distance between us. I hadn’t realized it until I saw them again.Talking in person changed everything. Both had their own struggles. I learned that everyone goes through tough seasons—we just don’t always post them online. It hit me deeply: even as someone who once managed global communities for Meta and Pinterest, I fell into the trap of digital comparison. I kept myself safe by pulling away.So here’s a note to self: Don’t scroll social media when you’re vulnerable. It distorts everything.
- One unexpected comment made me reflect on gender and ambition. A younger male friend asked, half-jokingly, “Why do you and [another friend] want to keep working even though you don’t have to? I should’ve married a Waseda woman.” That comment shocked me.In college, I prided myself on wanting both career and family—the ultimate “super mom.” But back then, “Waseda women” had a stereotype: career-driven, opinionated, and (supposedly) not “wife material.” In clubs, girls from women’s colleges were often favored. So, his comment? Unexpected and oddly validating.After becoming a mom, I’ve seen other cultures up close. In Dubai, some women proudly embrace full-time homemaking and luxury without career ambition. There’s no one right way.But I still love the fulfillment work brings, and I’m sure I’m not alone. Many of us want both. Maybe the world is finally catching up to us Waseda women.
- I may have overcompensated. Looking back, I might’ve tried too hard to show I was “doing great.” When you haven’t seen someone in 10 years, you feel pressure to sum it all up—quickly. But vulnerability is powerful. I admire the people who could be open about their struggles.
- Memory is funny. People reminded me of things I had completely forgotten. We lived with so many people, I’m sure there were conflicts—but I can’t remember them. What I do recall? Laughing until we cried, dancing until morning, and a feeling of being fully seen.
It all feels like a dream now. But the best kind of dream.
In 10 years, when my kids are teenagers, I’ll probably feel the same way about today. That’s why I write things like this—before they fade.
And if you’re going through something hard today, just remember: the messy present might become a nostalgic memory too. So take care of yourself. Be kind. And don’t compare your behind-the-scenes to someone else’s highlight reel.