2月中旬、風邪を引きました。
Japan Fashion Weekも一か月を切って
週の半ばにはLunchTripのベトナム便もあり
ファッション業界は朝遅く夜遅い上
毎日のようにLunchTripCrewと夜の12時からスカイプまたはメッセ
毎日のようにLunchTripCrewと夜の12時からスカイプまたはメッセ
他にもお仕事があって、
寝るのは2時半。。。
寝るのは2時半。。。
そしてわかりやすく微熱がこんにちは。
少し休み、ボーっとしつつもいつもの渋谷を歩く。
すると、なんだかいつも通ってる渋谷が
旅をしてる感覚になった。なんでだろ?
健康なときは、
携帯見て次にやる事考えながら
手帳のTO DO LISTの間を飛んで歩いてる。
好きなことばかりだから不満はないのだけれど
目の前にあるものをどんどん対応していってる感じになってしまう。そうするとホントに物理的視野も狭くなるのか
同じ道を歩いてても、目の前ばかりを見て
その道で通りすがった人の顔や着てる服や街の空気に
気が回らなくなっていた。
目の前にあるものをどんどん対応していってる感じになってしまう。そうするとホントに物理的視野も狭くなるのか
同じ道を歩いてても、目の前ばかりを見て
その道で通りすがった人の顔や着てる服や街の空気に
気が回らなくなっていた。
久々にちょっと遠巻きにぼーっとして歩くと、
熱だから街の外観がぼんやりして
ちょうどその街の色とかが見えてきて面白い。
それが、まるで旅をしてるときみたいだった。
旅の最中わたしはその街の色を探す。
細かいピースをたくさん繋げて、文脈を読み取ろうとするのが好きなのです。
旅の最中わたしはその街の色を探す。
細かいピースをたくさん繋げて、文脈を読み取ろうとするのが好きなのです。
旅をするのと生活するの違いは、マクロに見えるかミクロに見るか。
生活しているとどうしてもミクロな視点になりがち。
生活しているとどうしてもミクロな視点になりがち。
もしかしたら、わたしが水彩を描くからかもしれない。
その街の一角を描くとしても、
頭の中にはその街や国のイメージカラーがあった。
そのイメージカラーは、近づきすぎるとわからなくなる。
その街の一角を描くとしても、
頭の中にはその街や国のイメージカラーがあった。
そのイメージカラーは、近づきすぎるとわからなくなる。
色んな人と話して共通点を見つけたり、
その街の洋服で流行ってるものを見つけるのが好きなのです。
渋谷の明治通りってごちゃごちゃしてるけれど
空がキレイでビルに反射してるとか、
工事は何の為にやってるんだろうとか、
ランチ時のみんなのウキウキした顔とか。
冷たい風のなかにも少し柔らかい光が入って来ていた。
どれも、あまり気づいてなかった。
ただ風邪で頭の中だけトリップしてたのかもしれないけれど、
ぼーっとするから見えてくる事もあるのかもね。