The reason why I published the blogpost yesterday, is it was the week when my last baby’s heartbeat stopped.
It makes me feel a bit relieved but also scared to go into the next step.
This is a grave my mother-in-law built for that baby. It is at the yard of their house, in front of the blue ocean.
That sad experience taught me that so many people have similar experiences. They let me knew by texting, telling directly, but they are not just sad. They are looking ahead to the future.
On the social media, we basically share the happy news and moment. But it can be the honest sad feeling sometimes. We are human, we have not only happy days but rough days too.
昨日ブログ(死産してから妊娠するまで)を投稿したのは小さな意味があります。
26週目というのが去年の子供が亡くなった週なのです。なので、ひとやま超えた気持ちでもあります。
ただ、逆にいうとここからは3回目の妊娠でも知らないフェーズに入っていくので、ドキドキです。
写真は、義理の両親がシアトルの家の庭に建ててくれたお墓。
目の前に青い海が広がる、気持ちいいお庭なんです。
いつも手を合わせていました。
晴れやかな景色が見える場所に建ててもらって良かったね。
きっと君が生まれていたら、もっと景色は良かったと思うけど。
辛い流産・死産経験を経て改めてわかったことは、本当に多くの人が、人知れず悲しい経験を抱えて生きているということ。
2019年に最初の流産の話をブログに書いて以降、たくさんの人の告白をお聞きました。
知らない人からインスタメッセージで、久しぶりに会った友達からぽろっと。
皆、悩みながらも前を見て生きている。
昔の「ただのリア充」な私はわかっていませんでした。
SNSには基本ハッピーな瞬間を残したいけれど、こうやって辛かった・悲しかったことを日記のように残しておくのだって、いいんじゃないかなあ。
人間だもの。キラキラだけじゃなくて、しんみりすることも、いろんなことが毎日あるよね。
毎日見える夕日
お庭では、よく姪っ子がブランコに乗ってる。
これだと海がめちゃ近く見えますが、一応、段があります。
Nicknameは「みそぴちゃん」だったので。
毎日海辺を散歩しました。
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