9月からpinterestコミュニティマネージャーが始まり、忙しくなりました!
気疲れなのか!毎晩夜はものすごく眠くなり。
土曜は泳いだ以外、思いっきりダラダラしてしまったw
そして今日、日曜は母と久しぶりにランチしました。
最近実家に帰れないわたしに、母からI miss youと(なぜか英語で)きたので、わたしもI miss mamaの気分になって。
中間地点ではなく、わたしの友人の墓がある駅にしよう、と母が言うので、迷いもせず合意。
母はすごいなぁ。
“あみちゃんは私とお父さんには心配させないように良い事しか言わないの、わかってるから。”と、結局心配させてることもわかりました。
お墓参りに行く道で、ナオミのこと、死に関することを考えました。
友人ナオミは、本当に美しいまま、3年前アメリカで亡くなりました。
彼女についてはこちらに書いたのでお読みいただけると嬉しいです。
最近、”死は必ず通り過ぎる通過点”という考え方を知りました。
それも納得できるなぁと思いました。
それも納得できるなぁと思いました。
この世の誰もが、死んだあとのことを知らないので、そう考えたほうが辛くない。
誰でもいつか死ぬのだから。
でも、簡単に死を口に出す人は、信用できない、とも思ってしまいます。
大事な友人や家族を亡くしたことがあるひとは、
簡単に”死ね”なんて例え冗談で言わないような気がする。
簡単に”死ね”なんて例え冗談で言わないような気がする。
小学生や中学生が簡単にその言葉を口にするのは、
その重みがわかっていないからだと思うんです。
その重みがわかっていないからだと思うんです。
3年前、あの頃私は毎日頭の中はナオミのことで頭がいっぱいで混乱していました。
いま、毎日必ずナオミのことを考えるといえば、嘘になる。
だからこうやって、少なくとも半年に一度はお墓参りに来て、
彼女のこと、生と死について考えます。
彼女のこと、生と死について考えます。
お墓参りといえば、先日のお盆は、祖父のお墓のある鎌倉にいってきました。
こうやって毎年祖母を囲みご飯を食べ、
祖父のお墓にお花を添えて手を合わせられるっていうのは、
実は平和で幸せなことだなぁと思います。
祖父のお墓にお花を添えて手を合わせられるっていうのは、
実は平和で幸せなことだなぁと思います。
お花は、よく似合うと言われる向日葵にしました。
残念ながら、肌が焼けてるからだと思うけどw
あと、おばあちゃんへの感謝をこめたカーネーション。
残念ながら、肌が焼けてるからだと思うけどw
あと、おばあちゃんへの感謝をこめたカーネーション。
絵を描くのが好きなおじいちゃんだったから、
色彩が華やかなのを選びたくて。
お花屋さんによれば特に花選びにルールはないらしいです。
完全な思い込みですが、見晴らしのいい墓地で、お墓がなんだか誇らしげにみえた気がしました。
メキシコやエジプトのピラミッドにいっても、日本のお墓で友人や家族の死者を思い、今の自分の生を戒める思いは大切にしたいと思います。
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