その日は二軒目で、中目黒の駅からちょっとだけ外れたカフェにはいった。
cafe chillax (←ふらっとはいったけど、夜中二時までやってるみたい)
Oz magazineや東京カレンダーなど会話するにはちょうどいいおしゃれな雑誌が置かれており、実際二人の会話を助けた。
でもそこにもう一冊置かれていたのは「カラスのパン屋さん」という少し古い絵本。
わたしは目の前にいるひとの存在を忘れて、夢中でページをめくった。
だって、大好きな、竹山先生の読んでくれた本だったから。
勝手に興奮して、目の前で何か言っている言葉が聞こえなくなり、頭の中で先生の想い出があふれ出した。
1年生のときの竹山先生のことが、わたしは大好きで大好きでたまらなかった。
竹山先生は当時の母よりもずっと年上の、今思えば40代前半なのか後半なのかのベテランの先生で、
字がうまくて、優しくて、力強くて、薄っぺらな言葉でいえば愛にあふれた先生だった。
彼女が読んでくれた「カラスのパン屋さん」は、ほんとにほんとにおもしろかった。
カラスの一家が考えた、色んな種類のパンを一気に70個くらい載せている見開きのページがほんとに好きだった。
よく考えれば、一つの本をクラス全体にみせるって、結構難しい。
一番後ろの席の子は、見えていたんだろうか。
クラスの全員が、竹山先生の「カラスのパン屋さん」の読み聞かせの時間を待ち遠しく待っていた。
竹山先生は、毎学期通知表を渡すとき、
生徒一人一人を抱っこして、抱きしめて、褒めてくれた。
お勉強だけじゃなくて、生活態度や、がんばったことを、つたえてくれた。
私はその時間がすごく楽しみで、好きだった。
当時書道を習いはじめて一年生としては字がきれいて(今は目もあてられない)、勉強もできた私は、自分は特に褒められているように感じていた。
でも、よく考えればどの児童にもいいところを褒められる、そんな器量のある先生だった。
先生は、たった1年生や2年生同士の生徒の喧嘩にも、忠実に誠実に対応してくれた。
同じマンションで同じクラスの優ちゃんと私が大ゲンカしたとき、普段まったく泣かなかった私が机に突っ伏して大泣きした。
先生は、放課後二人が話し合うのを手伝ってくれた。
どんな原因だったかとかは全く覚えていないけれど、先生が、わたしたちを人間として大事に尊重してくれことを、すごく覚えている。
「子供同士の喧嘩だからよくあること」という扱いでは、なかった。
中学や小学生のときの記憶って断片的だけれど、「感情」をベースにした記憶だと、あまり忘れない。
カラスのパン屋さんから、竹山先生のことまでを思い出して、ふと我に返ると、わたしはアラサ―として中目黒のカフェでソファに二人で座っていた。
時間にして、おそらく2-3秒、20年以上のタイムスリップ。